祈る、ということ
2025年は激動の年と言われて久しい。
自然災害、食糧危機、戦争、経済破綻、天災を装った人災…色々な可能性が考えられるし、ほぼ目の前に迫ってきている現実もある様に思う。
それなのに何も出来ない自分に対して、ずっと無力感や色々な負の感情を抱えていたけれど、ある時「“アチマリカム”という言霊が地球を救う」という情報を目にした。一度ならず何度も見聞きする情報は、取り敢えず試してみるのが私流。
エビデンスはあるのか?と問う方も少なく無いと思うけれど、人間の身体や地球の成り立ちや動植物界の仕組み等、この世のほぼ全てにエビデンスなんて無い。ある物理学者が「この世で科学が証明できる事など全事象の3%程に過ぎない」と書いていたけれど、つまり、私達人間が科学で証明出来る事は少ないと言う意味だと私は理解している。
それで「アチマリカム」の話に戻ると、意味はサンスクリット語で「無条件の愛」、ヘブライ語で「全ての統治を託します」、神道では「すべての生き物、地球をお守りください」等、様々な解釈があって難しい…と感じる一方、突き詰めていくと結局ひとつの事柄に集約されているとも感じ、超簡単、とも言えるかと…。
何も出来る事がないと嘆いているよりは、祈るだけでもやってみよう!と決めて数ヶ月程経った頃、「あ、大丈夫だ…」と思う瞬間があって少し驚いた。
何が大丈夫なのか?
「私が祈った事で地球は守られた!」等という大それた話ではなく、「何があっても私だけは守られる!」等という自己中な話でもなく、ただ淡々と「大丈夫」と感じた、としか言いようがないのだけれど、敢えてその「大丈夫」を言語化すると、地球に何が起こっても大丈夫、例え私の身体が無に返ったとしても大丈夫、私の心は最後迄平穏…そんな感じ。
そして、私の心の平穏はあなたの平穏に繋がり、あなたの平穏が、又その周りの平穏に続いて行く…。
「想念が現実を作る」と言う論、少し前までそれは所謂スピ系の戯言的に言われていたけれど、今や“エビデンス”があるそうで、私達一人一人の心の持ちようが、今の、未来の現実をつくり、変えている事が“証明”されたそう。それは時間・空間という3次元以上の次元の話になるから、私のちっぽけな脳味噌では説明不可だけれど、だからこそ、生物的感覚がエビデンスに勝ると思う所以。脳は腸に動かされているという事実からも、脳(思考)が私達を司っているのではなく、腸(身体)が思考を先導して私達の日々がある、という考え方はアリだと、私の感覚は言っている。
私はあなたで、あなたは私であるから、1人の人間の心持ちが、地球の裏側の人の平和に繋がっているという壮大で複雑怪奇な、でもとてもシンプルなお話。
祈りは、祈る人の心の平穏のためにある。
そしてその平穏は、この世の全ての事象と連動している。
そんな事に気付かされた、祈り、アチマリカム、のお話。